アジアTYAネットワークレポート

私は演劇創作に対して、そして近隣のアジアの仲間たちとのコラボレーションの探求についての熱意を新たにした。
Ruth Pongstaphone (タイ)

実践のコミュニティは、現代の社会的学習論者達によって、あらゆるタイプのプロフェッショナルな実践の進化において、またプロフェッショナルな実践家の継続的な成長にとって不可欠であると言われてきた(Wegner, 1998)。根本的にコラボレーションによって行われる演劇創作において、実践のコミュニティは重要であるだけでなく、まったく必要なものである。演劇を創作するためには、私たちはコミュニケーションを取り、アイディアを共有し、お互いに交流しなければならない。児童青少年のための演劇を創作する行為においても、その本質は、若い観客と、彼らと共にいる大人たちとの交流を通して彼らの社会のこれからをより良いものにするために真摯に考えるということが必要になる。このように、TYAの文脈におけるシアターメイカーたちの役割は、若い世代を刺激する者、ストーリーテラー、教育者、そしてアイディアやテーマの探求者として非常に重要な社会的責任を負うものとなる。こういった理由から、アジアTYAネットワークのような実践のコミュニティはTYAの実践とそれに関わる人たちの工場にとって不可欠な資源となる。Wengerによると(1998)、実践のコミュニティは実践家たちに自分自身の実践を豊かにするため、もしくは実践そのものを向上させるための知識や経験の共有の機会をつくりだすことで、実践の継続的な発展を助けるものである。”Wengerは、個人が実践家としてのアイデンティティをこういった実践のコミュニティに参加することによって高めていくやり方の重要性を指摘している。実践のコミュニティは、そのメンバーがその経験の度合いに関わらず、彼らの実践においてお互いに助け合いたいと思わせるコミュニティとして成長していかなければならない。実践のコミュニティは個人が実践家として行うことに意味を持たせる重要な手段である。”(Loftus, 2012)

私自身、シアターメイカーとしてのキャリアの中で、今回沖縄のりっかりっか*フェスタで行われたアジアTYAネットワークほどに、実践のコミュニティに参加することによる信じられないくらいポジティブな感情を経験したことはほぼなかった。このイベントに参加した一参加者として、またファシリテーターとして、私たちはお互いに支えあうようなネットワークとして自分たちを向上させ、お互いから学び合い、世界各地から集まった幅広い質の高い作品を共に鑑賞し、自分たちの視点や考え方について話し合い、自分自身の作品や刺激、未来への懸念などを共有するために集まるという稀で価値のある機会を与えられた。沖縄で過ごした時間ずっと、1日1日が刺激的な活動や興味深いプレゼンテーション、文化をこえた交流、心のこもった対話にあふれていた。アジアTYAネットワークのプログラムをりっかりっか*フェスタに組み込むことによって、芸術交流のための豊かな環境を作り出した。フェスティバルで上演された多様な作品はアジアTYAネットワークに参加した私たち全員を刺激し、継続的なディスカッションを促すというやり方で、フェスティバルは多大な創造的インプットを提供した。プログラムに組み込まれていたフォーマルなオープンディスカッションに加え、私たちはフェスティバルにインスピレーションを与えられ、自分たちの地域での自身の活動を見直し、常にお互いとインフォーマルな会話を行っていた。このフォーマルな対話とインフォーマルな対話療法が、非常に多様な文化的文脈の中において自動青少年のための演劇を創作することについて、重要でクリティカルな質問や刺激的なアイディアをひきだした。私たちのグループには、異なるテクニック、さまざまな経験のレベル、そしてさまざまな世代の実践家が集まっていた。力関係や上下関係なしに、私たちは絆を深め、お互いのインプットを尊重し合うことができた。アジアTYAネットワークに参加したことで、近隣の国のたくさんの仲間たちと顔を合わせることができた。このプログラムに参加していなければおそらく会うこともできなかった人たちばかりだと思うが、りっかりっか*フェスタで共に過ごした密度の高い時間の中で、私たちは良き友人となり、お互いを支え合い強め合う関係を築いた。東南アジアにおけるTYAは、私の経験から言って、政府などの機関からほとんどサポートを受けられていない分野であり、子どもたち、青少年、コミュニティ全体の社会的な成長のために非常に価値のあるプロフェッショナルな芸術活動であるということがしばしばきちんと理解されていない、もしくは認識すらされていないという状況であり、それゆえに東南アジアで活動するTYAのシアターメイカーとして孤独感と隔離感を抱えて活動してきたが、今回の経験がそれを払拭してくれた。りっかりっか*フェスタでのアジアTYAネットワークにファシリテーターとして招待された時のことを振り返ると、私は始め何を予想したら良いのかわからなかったのだが、グループとして実際に集まった最初の瞬間から、私たちはアーティストとしてお互いに繋がり合う友好的な環境に迎え入れられた。プログラムを作り、動かしていた宮内奈緒さんと、彼女の素晴らしいチーム(その子さん、ザンティさん、ジャネットさん)はアジアTYAネットワークにとってはまさに不可欠な存在であり、彼女たちによって最初のグループ活動とアイスブレイキングが行われた。その中の活動のひとつに、子どもの時のお気に入りのゲームや食べ物を紹介する、というものがあった。これは本当に私たち全員をすっかり変えてしまうものだった。私たちは子どものように笑い、遊び、それが私たちの中に、子ども時代の世界への見方を思い出させてくれる喜びに溢れた密接な空間を作り出してくれた。最高の演劇体験とは、創作者、パフォーマー、観客全体を包括する、密接で、人生が変わるような共有体験である。この最初の活動は、私の心の深いところを変えてくれた最高の仲間たちとの没頭体験の始まりでしかなかった。たくさんの新しい考え方と、自分自身の芸術家としての魂に意味を与え、助けれくれるような帰属感をもたらしてくれた。この集中的な時間のために集まった私たちは、お互いにとてもオープンな状態になれた気がする。幅広い作品やコンテキストを探求し、それぞれの実践や個人的な体験を共有し、現代のアジアの文化的文脈で、TYAに関わるものとしてのそれぞれの目的について話をすることができた。グループとしての共通性と多様性を探り、驚くような類似点や、予想していなかった相違点を見つけ、アジアのTYAに対する共通の懸念ーTYAのプログラムへの経済的な支援、実践家のためのトレーニング、TYA作品の芸術的なレベル、観客の獲得、活発な実践的コミュニティとしてのこのネットワークをどう継続して行くか、東南アジア全体でTYAに関わっている他の実践家にとってどんな資源になれるか、などーを抱えていることを見出した。

結論としては、アジアTYAネットワークの仲間たちから得た知識や視点の新しい種は、私のTYAの実践の視野と、TYAコミュニティの意識を広げてくれた。私の沖縄での経験は、圧倒的なインスピレーション、絶対的な包括性、友情、仲間意識、そして何よりも良い心だった。この体験から、私は演劇創作に対して、そして近隣のアジアの仲間たちとのコラボレーションの探求についての熱意を新たにした。また、実践のコミュニティに関わり、参加することの価値について、特に、実践家のアイデンティティと、実践のコミュニティを認識することの関係戦の点で、深い理解を得ることができた。Wenger(1998)は、実践のコミュニティが、実践家のアイデンティティの確立においての重要な要因となると論じている。それは、実践のコミュニティが実践家に社会的学習の環境を提供し、自身の実践を支えてくれるからである。私はそこに、類似した、関係の近い文化圏の中の実践家によって、また彼ら実践家のために特別に作られた実践のコミュニティは、実践家が自信を得て、社会的疎外感を相殺することができる、とあえて付け加えたい。アジアTYAネットワークは、実践のコミュニティに属しているという帰属感と、またその心地よさを初めて自分に感じさせてくれた。子ども時代のゲームや遊びを紹介しあっていた時にこれに気付いたのだが、それは一緒に遊ぶということで子どもの頃バンコクでいとこと路上で遊んでいた時の記憶や感覚が一気に戻ってきたからだった。アジアTYAの仲間たちと一緒にいるのは、子どもの頃の友達や家族と一緒にいるのと同じような感覚がある。これまで国を超えたレベルでのTYAの実践のコミュニティに参加する機会のほとんどは、主にアメリカやヨーロッパの参加者によって西洋的な文化環境の中で、西洋的な文化との交流を行うことで得たものだった。ほぼアジアの文化グループの中に入ることは、よりリラックスでき、より密接な関係になれると気がついた。これまでに西洋の実践家がほとんどのグループで子どもの頃の思い出を共有する機会もあったが、ここまでオープンにはなれなかったし、今回のように子どもの頃の感覚が戻ってくるようなこともなかった。グループのメンバーがとても友好的であったとしても、グループの外に立っているような、自分を守らなければならないような感覚を持っていた。非常に異なる文化経験や社会構造、行動に原因があったのだと思う。これまでの西洋を中心とした国際的な実践のコミュニティでの体験は、異文化交流として非常に価値のあるものではあったのだが、アジア主導のTYAの実践のコミュニティにも同じくらい大切な立ち位置があると信じている。

ほぼ全てのアジアの国々が、西洋の植民地支配に直面する歴史を持っており、それが完全な植民地支配であったかどうかに関わらず、強制労働や経済的搾取、政治的圧力、軍事干渉、暴力による征服、社会的差別、哲学的再教育、文化的疎外化など、私たちに影響するさまざまな行為によって、文化の形が変えられた。現在も、残念なことにアジアのいくつかの地域や社会の側面において、西洋的な文化基準や構造、考え方は私たち自身のそれらよりも優れたものとして扱われているが、私たちの環境や歴史、それによる傾向はこれだけ西洋と異なるのだから、それは大きな間違いだと感じている。近隣の国々から集まったアジアの人間として、私たちは多くの言葉にされない行動や理解を共有しており、コミュニケーションを取る際のトーンも似ていると感じる。アジアTYAネットワークの間、私はより自由に自分たちについて話し合うことができていると感じていた。それは、私たちがほぼアジアのグループであり、文化的な体験においても共通の基盤を持っている仲間であったからだ。それによって、これまで参加した国際的な実践のコミュニティで経験したような、通常は西洋的な文化的価値観に支配されがちなインパクトが弱められたと感じた。特にプライベートなグループディスカッションを通して、私たち自身の地域に関連するテーマについて話し合い、考えていることを共有することができた。これは西洋の参加者が入ったオープンディスカッションとはかなり異なるものだった。こういったディスカッションでは、文化の相違のため、より詳細な文脈の説明が必要となる。もちろん、沖縄で出会った西洋の仲間たちとの文化を超えた交流も同じように重要であり、アジアTYAメンバーとのプライベートな交流に対して、その価値を軽んじているわけではない。どちらの環境や対話も必要なものであると思うが、ただどちらの方が現時点で得難い経験であるか、ということは指摘したい。ネットワーキング や実践のコミュニティというのは、西洋社会で急増しているものであり、しばしばヨーロッパやアメリカから実践家を集め、西洋的な”国際”文化の枠組みの中で演劇について議論するというものである。アジア、特に東南アジアに特化したこういったネットワークは非常に少ない。ASEANにはたくさんのユニークで重要なTYA実践家や団体があるが、それらがつながり、コラボレートするような機会はほとんど存在しない。私たちにとっての大きな課題は経済的資源に関わるものであるが、いくつかの課題は私たち自身の精神的な部分にある。豊かな地域文化を持つ場所は多くあるが、では同じような環境やたくさんの神話を共有し、似たような課題に直面している私たちが全体的なアジア地域への帰属感を持っているか、といされるとおそらくそうは言えないだろう。政府や企業レベルでは結託や協力関係があるが、グラスルーツで考えると人々はたとえ隣同士に座っていてもしばしば切り離された存在同士となる。日々デジタルでの関わりが人間同士の接触に取って替わり、西洋の文化メディアや大企業のプロパガンダに取り囲まれ、急速なグローバリゼーションが進む現代において、顔と顔を合わせた社会的、文化的な交流の意義をTYAによってアジアの児童青少年に広めていくことは、これまで以上に極めて重要なことになっている。また、アジアのTYA実践家同士の交流とコラボレーションを支える実践のコミュニティに関わっていくことも不可欠である。西洋諸国では、経済的な困難はあれど、演劇をフルタイムの職業として捉えることは可能である。しかし多くのアジア諸国においては、いかに情熱を注いでいても、TYAをフルタイムの職業にしようというような考えはまったく非現実的であり、各地域でTYAを広めていくための有効な批評的対話をサポートする資源を欠いている。これは変わらなければならない。だからこそ、アジアTYAネットワークは私たちにとって非常に重要なものであり、りっかりっか*フェスタのような刺激的なイベントで定期的に集まり、参加と努力を続けていく必要がある。この実践のコミュニティを一緒により良いものにしていくための方法が見つかることを心から願っている。

参考:

Loftus, S., Higgs, J., & Trede, F. (2012). Researching living practices. In Creative Spaces for Qualitative Researching: Living Research. Springer.

Asian TYA Network
Ruth Pongstaphone
タイ
New Yangon Theatre Institute
設立者・芸術監督