りっかりっか*フェスタ レポート

あらゆる作品は真摯な態度と観客への敬意を必要とする。
Nguyen Hoa My (ベトナム)

りっかりっか*フェスタでの濃密な10日間を終え自宅に戻り、フェスティバル期間中に書き留めた自分のノートを読み返すと、フェスティバルがいかに自分にとって有益でモチベーションを高めてくれるものだったのか気付かされる。参加する前は、自分の演劇活動について不確かで自信の持てないところがあった。しかし日を追うごとに、りっかりっか*フェスタが私を原点に立ち返らせてくれた。

りっかりっか*フェスタが教えてくれたことは、なによりも演劇は私たちの創造性と革新性のセレブレーションであるということである。この創造性は、劇団ドベフが『おおきな木』の物語に現代の世界の新しい要素を入れて作り出した作品のように、そしてお茶目ですこしやんちゃなキャラクターとして生まれ変わったショーナ・レッペのシンデレラのように、作品の内容において見ることができる。

この創造性を、舞台演出や舞台美術においても発見することができた。『カインとアベル』の演出家は聖書の物語を2人のブレイクダンスアーティストと描き、神のメッセージをダンスバトルという形を通して表現した。また、沖縄の伝統演劇である組踊が、西洋の音楽や俳優の顔の表現を入れて演じられていた。それによってこの形式をより親しみやすいものにする意図があった。すべての舞台作品は、それぞれのアーティストの創造性、そして彼ら自身の芸術に対する挑戦を表現するものである。

より実験的な時期にある作品もあった。たとえば『子ゾウのポボンとお月さま』では”小さな子どもたちのためのノンバーバル作品”を創作するためにサーカスや人形劇、影絵、パントマイム、演劇などの手法を織り交ぜていた。また、繊細さを極めた作品もあった。夜に子どもたちを守るガーディアンについてのシンプルな物語である『ナイトライト』では、子どもたちは形ではなく光と陰で表現され、舞台は40人以下の観客のための円形の舞台であり、小道具も舞台上の目的によって特別に作られたいた。舞台上では一人の俳優しか見えないが、舞台裏ではテクニシャンがすべての効果を担っている。『ナイトライト』は無垢で、想像力や驚き、強い感情にあふれた夢の世界に飛び込ませてくれた。

りっかりっか*フェスタはまた、人と繋がる行為としての演劇の目的を再認識させてくれた。ひとつひとつの作品は、観客に何かしらのメッセージを伝えていた。時に児童青少年演劇は観客を笑わせるエンターテインメントとして見られてしまうことがあるが、児童青少年のための演劇は観客とのつながりを重視し、さまざまなテーマについて重要で多面的な考え方を刺激するようなものであるべきである。

子どものための演劇は、大人でも楽しめるものであり、少なくともその目的において大人のための演劇と子どものための演劇の間に境界線はないといえる。児童青少年演劇の分野で活動することは、言葉やメッセージ、身体や表現、色、音、セットデザインなどをつかって種を撒くようなものである。その種は子どもたちの意識の奥に届き、いつの日か花を咲かせるかもしれない。だから、メッセージの選択は非常に重要である。りっかりっか*フェスタでたくさんの作品を観て、作品の作者や脚本家、演出家は、個人的な物語を舞台にあげるときは、特にその物語がグローバルなコンテキストに関わる場合は気をつけなければならないと感じた。また、普遍的なテーマを扱う場合は、創作者は自身の経験や創造性に加えて、じゅうぶんなリサーチをする必要がある。

さらに、りっかりっか*フェスタは西洋と東洋、プロフェッショナルとコミュニティをつなぐコラボレーションプロジェクトの企画、サポートも行っている。西洋(しばしば演出家)と東洋(しばしばダンサーや俳優)のコラボレーションとしては、ゲーテインスティトゥートがスポンサーになって、ドイツの演出家とアジア(タイ、マレーシア、韓国、日本)のアーティストが参加したダンス作品『ストレンジャーズ』があった。この作品は文化を超えたコミュニケーションをテーマに、観るものに言葉によらない、暴力的でないコミュニケーションを提案した。しかし、多文化性というのは現在のアジアにおける主題ではない。西洋的な視点ではなく、アジアのコンテクストでより深いリサーチと分析を行ってほしかったと感じた。そのためには、こういったプロジェクトにおいてはリサーチのための時間を取るか、テーマとする分野の専門家に創作のプロセスに入ってもらうなどを検討する必要があるかもしれない。

もう一方で、プロのアーティストとコミュニティーがコラボレーションし、参加者の実際の体験と地域の歴史をもとにつくられたコミュニティダンスプロジェクトを観ることができた。高齢の女性ダンサーたちによる感動的なパフォーマンスは、歴史や文化を残し、伝えていく方法としては効果的なものだった。物語が語られるとき、そのカタルシスを起こさせるようなプロセスが、人々、特にプロジェクトの参加者自身にとっての癒しの機会となっていた。この作品を観たとき、ベトナムの祖父母のことを思い出した。ベトナムは多くの世代が戦争によって何度も傷つけられ苦しんだ国である。彼らも、自分たちの物語を語り、自身の苦しみに向き合えるような、自分たちを表現する活動を必要としていると感じた。コミュニティプロジェクトにおいて何より重要なのは、その作品がコミュニティの需要と希望にもとづき、またフォーカスしているということである。私が実践してきたプレイバックシアターも、コミュニティのニーズを捉える手段のひとつになりうる。また、プレイバックシアターで集めたリサーチデータを舞台作品に作り変えることで、さまざまな物語がより多くの人に訴えかけられるようなものになると考える。

りっかりっか*フェスタでは、シンポジウムや分野の専門家とのトークを通して実践的にも理論的にも、私の演劇の知識を豊かにしてくれた。特に、アレックス・バーン氏による、子どもとともに、子どものための作品を作るさまざまな方法についてのプレゼンテーションに感銘を受けた。会場を作り替えたり、子どもたちが想像した物語を使って創作したりといった手法は、演劇に親しみのないベトナムの人々との活動にも応用できるだろう。

共同での創作にしろ、個人の創作にしろ、エンターテインメント作品にしろ、啓蒙的な作品にしろ、仕上がりきった作品にしろ、実験段階の作品にしろ、あらゆる作品は真摯な態度と観客への敬意を必要とする。観客こそが、その作品の運命を決めるからである。また、そこから作品の質も生まれてくる。これが、りっかりっか*フェスタでの10日間で学んだもっとも重要なことである。

りっかりっか*フェスタのもうひとつの側面は、他のあらゆるフェスティバルと同じく、運営面のことである。りっかりっか*フェスタから、フェスティバルディレクターからボランティアにいたるまで、スタッフの態度というものがいかに重要なのかを学んだ。ひとりひとりの観客に対し、気を配って、思いやりをもって対応していた。フェスティバルディレクターがあらゆる公演にいて、個人的に笑顔で観客を迎え入れ、座席に案内しているのを見たとき、観客はきっと自分がいることを喜ばれていると感じるに違いない、と思った。そして、それはまさにフェスティバルが継続していくための必須条件である。また、台湾の大学とのパートナーシップも非常に賢い戦略である。台湾の学生はフェスティバルの運営に関わり、日本語を学び、きっと良い時間を過ごしたことだろう。しかし、劇場に関して言えば、障がいのある方や妊婦など、特別なニーズがある観客にとっては適した会場ではなかった。

プログラムも、ローカルなものから国際的な作品まで、若いアーティストから知名度のある劇団まで、良く選ばれていると感じた。観劇したすべての公演は観客でいっぱいで、あらゆるフェスティバルが夢見る光景だった。りっかりっか*フェスタは地元の住民にとって欠かすことのできない文化的なイベントになっている。しかし、ポストトークは主にファシリテーターの信仰によってあまり効果的でなかったように思う。

私が参加することができたアジアTYAネットワークプログラムでは、さまざまなアジアの国から集まった他の実践家とのすばらしい出会いと交流によって、わたしの心の箱を開けることができた。

私が持ち帰ったキーワードは”トレーニング”だった。世界のどこかでのフォーマルな学校でのトレーニングに疑問を持っていた私に、TYAは何が本当の意味でのトレーニングになるのか、ということを考えさせた。そしてその答えは、”深い共有、出会いと交流、ワークショップを通してお互いから学び合うこと”だった。りっかりっか*フェスタでは短い期間だったためそれぞれの参加者の実践について深く学ぶ活動やワークショップをする時間はなかった。これは、私がぜひ次のTYAミーティングで実現したいこととなった。TYAについての3つのディスカッションは、良く準備されてはいたが非常に幅広く、特定のトピックを掘り下げることが難しかった。おそらく、各参加者のニーズや疑問、課題を事前にリサーチしておくことが解決策の一つになるのではないだろうか。

また、参加者の背景も、フェスティバル主催者から演出家、教師、振付家、コミュニティアーティストと非常に多様だった。交流の中でそれぞれが声を挙げて貢献した。こういったTYAミーティングを各地域で、地域のネットワークと開催することを考えている。こういったモデルをどうやって地域に応用するかが、今回の交流の中で私がずっと考えていたことだった。

これに加えて、ぜひ次回のフェスティバルではアジアTYAメンバーの作品が上演されることを願っている。アジアのアーティストが、アジアのアーティスト(演出家、脚本家)と共に創作した作品が、これからたくさん観れるようになると良いと思う。りっかりっか*フェスタのプログラムに”アジアの才能”のようなセクションを作れないだろうか?

最後に、アジアTYAメンバーとして、さまざまな役割や視点からりっかりっか*フェスタに参加できたことに感謝したい。上に書いたように、りっかりっか*フェスタは私の個人的な実践に大きな希望を与えてくれた。児童青少年演劇に関わっていく中で、”質の高い観客を引き付けるような作品における創造性”と”トレーニング”という2つの重要な基本的な知識を常に胸においておきたい。

Asian TYA Network
Nguyen Hoa My
ベトナム
ATH - Drama and Art space of Hanoi
ドラマ教師