りっかりっか*フェスタ2017レポート

児童青少年演劇は、どのように児童青少年の言語に働きかけるか、ということによって他のものと分けられるのだと感じた。
Roger Sangao-wa Federico (フィリピン)

他人はいない

アジアTYAネットワークプログラムは、作品創作の様々な可能性や方法を自分に教えてくれた。さまざまな作品を鑑賞することで、児童青少年演劇の作品創作のためのたくさんの学びと刺激をもらうことができた。自分にとっては初めての演劇フェスティバル参加であり、これまで観てきた作品は文化的なパフォーマンスだったため、たくさんのことが自分にとっては新しい経験だった。

25の作品のうち、13作品を観ることができた:パズル、フィンランドのベビーサウナ、アダムの世界、アナのはじめての冒険、Mr. バンクの魔法のガラクタ、アイスクリーム売りのジキル、グッバイミスターマフィン、スリーリトルソング、炎の鐘、アイオンザスカイ、海のこどもたち、レミゼラブル、アゲイン。どの作品も、年齢や人種、国籍、性別、宗教、その他背景にかかわらず、りっかりっか*フェスタで上演される作品は、誰もが歓迎されるような作品だった。

みんなで同じ空間を共有することで、さまざまな違いを受け入れる一つのコミュニティができる。演劇体験は、お互いを知らなくても人々を結びつけられる瞬間になる。頷きや、お辞儀、一緒に笑ったり、作品の中で同じ感情を抱いたり、人々を近づけ、理解を深めさせるものだ。

質問

このフェスティバルで本当に興味深かったのは、アーティストや演出家、プロデューサー、俳優など作品に関わる人と話ができたことだ。作品の創作のプロセスやインスピレーション、観客の受け止め方などについて聞くことができた。2017年のアジアTYAネットワークプログラムでは、メンバーが2人ずつのファシリテーターがつく2つのグループに分かれ、1) この作品は児童青少年の観客に適しているか?、2) 自分たちの地域やコミュニティでこの作品を上演したら、どんな反応が返ってくるか、地域の観客の感性には合っているか?という2点についてディスカッションを行った。

『アゲイン』の作者の一人であるトマス・アイゼンハルドによると、20年前に自分たちのリハーサルを見学してすっかり惹きこまれている自分の息子を見たことが、彼が児童青少年のための作品を作ろうと思ったきっかけであったという。この彼の息子との体験が、子どもたちは大人よりもより物事を考えたり理解したりすることができると気づかせた。そしてこの経験が、命の祝祭である『アゲイン』の創作の原動力になったという。一方『アイオンザスカイ』を上演したダイナモシアターのマネジャーであるピエール・ルクレールは、子どもたちは大人とほとんど同じであり、過小評価してはいけないと言っていた。これは、『アダムの世界』のディレクターのステファン・フィッシャー=フェルズも同じ論点を持っていて、若い観客たちも、考え、感じることができる同じ人間であるのだから、若さだけで判断すべきでない、と言っていた。そして、多くの人が赤ちゃんや子どもたちを弱い存在であり、複雑なことは理解できないと決めつけているせいで、子どもたちは虐げられていると考えていた。

こういった議論を通して、私はTYAというカテゴリーに疑問を持つようになった。このカテゴリーに必要性はあるのだろうか。児童青少年が物事を考え、理解することにおいて大人よりも優れていて、TYAミーティングのメンバーが言っていたように”愚かではない”のであれば、あらゆる作品が子どもを含めた全ての観客に適しているのだと言えるのではないだろうか?演劇は、特定のグループの人たちだけのものなのか?児童青少年のためにふさわしいものにするために、作品において何か制限があるのだろうか?

フェスティバルの作品の中にも、暴力や不道徳、いじめなどを扱った作品はあった。私としては、もしもその作品が本当に児童青少年のためのものなのであれば、なぜそう言った内容を作品の中に入れ込んでいるのか、と思う。彼らはその意図をきちんと理解できるのか、と不安に思うからだ。グループの中にも、同じ疑問を持つメンバーはいた。しかし、創作者の中には、子どもたちはそれを受け止める能力があり、賢いのだという人たちもいる。

沖縄にいる残りの時間で、この質問に対する答えを探すことにした。世界へつながるTYAクリエイションシリーズの、高学年以上向けの多言語作品創作のためのワークショップの成果として発表された『ドンキホーテ』が、その質問に答えようとしてくれていたような気がする。このパフォーマンスでは、パフォーマーはまず子どもたちがよくやるようゲームをして遊んでいる。そこからいろいろな楽器をひきだし、さまざまな言語を使って『ドン・キホーテ』の物語を語り始め、周りにあるものを小道具にしていく。とてもシンプルなパフォーマンスだった。ストーリーは誰もが知るものではなかったが、その表現の仕方が若い観客たちを引きつけるのだと思う。私自身も、話されている言語は一つもわからなかったにもかかわらず、物語を理解することができた。児童青少年演劇は、どのように児童青少年の言語に働きかけるか、ということによって他のものと分けられるのだと感じた。もしTYAが観客の感覚に触れるようなものをそれと定義するのであれば、それは子どもたち(その背景にかかわらず)が子どもたちとして集まり、子どもでありながら大人のように演劇を体験する場所のことをいうのではないだろうか。

TYAとは何か?

2人の子供を持ち、ファシリテーターの1人であるダラ・ヒュオットは、テレビやSNSの存在によって、私たちは子どもたちが身の回りで目にするものをコントロールすることはできない、と話した。子どもたちにとって、この2つで見れるものは、劇場で見れるものよりもずっと重大なのかもしれない、だからこそ、演劇体験における親の役割は重要なものである、とも言った。

同じくファシリテーターの1人であるケレブ・リーにとっては、TYAは子どもたちを力づけ、若い人たちに声を挙げる機会を与えるチャンスである。例えば、私の劇団Aanak di Kabiligan (Children of the Mountains)では、演劇を使って環境問題や文化の保存のために活動している。社会の中で若者がポジティブな役割を果たせるような教育的な意味と、本になっていない物語に触れる機会を提供するために、おとぎ話を演じている。TYAは私たちにとって彼らと話をし、彼らの感覚を開き、彼らの豊かな想像力に火をつける瞬間である。

プログラムメンバーの1人であるリンダ・アンの”子どもたちは、自由に考えるために演劇を必要としている”という言葉を引用したい。確かに、演劇は児童青少年の芸術的なスキルを高め、芸術を楽しむ手助けをするためにも、小さな頃から体験できるようにすべきである。

多様性に囲まれて関係を作っていく

アジアTYAネットワークに参加したことは、私の文化や作品について紹介し、他の参加者がそれぞれのコミュニティで活動していることを知る機会を与えてくれた。また、友人を作り、ネットワークを作り、子どもたちのためにそれぞれが行なっているプログラムについてお互いに助け合うことができた。さまざまなテクニックを使ったさまざまな作品を観ることで、赤ちゃんも含めた子どもたちのために作品を作りたい、と思わせてくれた。

パーティーに参加すると、みんながお互いに話をしたり、物語を共有したり、名刺を交換したり、関係を築こうとしたり、とても忙しくしていた。私はリラックスして楽しむ時間だと思っていたが、お互いに会話をしたり作品について話したりする、演劇体験の延長のような場所なのだと感じ、とても良い時間となった。

何も持たずに家には帰らない。私の心と頭はたくさんのインスピレーションと学んだことでいっぱいで、これはりっかりっか*フェスタの皆さんなしにはあり得なかった。このプロジェクトのために尽力してくださった下山さんと彼のチームの皆さんに心からの感謝を伝えたい。コーディネーターの皆さん、サポーターの皆さん、助成団体、ボランティア、パフォーマー、ファシリテーター、参加者の皆さん、ありがとうございました。

Maraming Salamat po!
Iyaman!

Roger Federico
Aanak di Kabiligan
Community Theatre Performer and Director
CAR, Philippines

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Roger Sangao-wa Federico
フィリピン
Aanak di Kabiligan Community Theatre
パフォーマー・演出家
りっかりっか*フェスタ参加者