“アジアバブル”を越えた、「銭湯的」ネットワークの構築

“深い”文化交流とは何か、その“深さ”は何から生み出せるのか。
鈴木アツト (日本)

インターネットやパソコンが僕らの生活を囲んでいる現代、「networkする」という言葉を、僕らは案外深くは考えないで使っている。ならば、辞書で調べてみよう。まず、他動詞として「○○を放送網を通じて放送する」という意味があり、次に「○○を網状につなぐ」というのがある。そして、自動詞として、「(非公式な会合を通して)仕事上の関係[コネ]を築く」とある。そうか、終わってからきちんと考えたことなのだが、Asia TYA Networkは、アジアの児童青少年演劇関係者と、非公式な会合を通して、仕事上の関係[コネ]を築く、イベントだったのである。

この「非公式な会合を通して」というのが大事なポイントじゃないかな。ということは、「networkする」を日本語に意訳するならば「銭湯する」じゃないかな。銭湯に行く。暖簾をくぐって、まず裸になる。そして、身体を洗う。洗いながら、相手の裸もチラッと見る。イチモツのサイズを比べながらニヤッとしたり、小さなタトゥーにドキッとしたりする。裸を見ると、なんとなく相手の歴史がわかる。さあ、汚れを落としたら、湯船に浸かってリラックスしよう。こんな体験を共有することが「networkする」じゃないかな。ではまず、今回のAsia TYA Networkで自分は裸になれただろうか?と自問する。

銭湯のように、のっけからパーンと服を脱ぐことはできなかったけど、幸い、同じホテルだったこともあり、朝食で一緒になりしながら、少しずつ打ち解けていき、私のほうは水着ぐらいにはなれた気がする。それは、共通言語が英語だったことも影響した。私の場合、母語に比べ使える表現や語彙が限られているため、自然と言葉がストレートになりやすいのだ。様々なことを正直に話している内に、メンバーのほうが親しみを感じてくれたようだ。

 どれぐらい、メンバーそれぞれの体に刻まれた歴史をチラ見できただろうか?正直、私は、自分の劇団の作品を、りっかりっかフェスタで上演していたので、TYA Networkの全てのセッションに参加できたわけではなかった。その中で、Ruth Pongstaphoneとは、比較的、個人的な話をする機会が多かった。タイとアメリカの両方をルーツに持ち、ニューヨークで教鞭を取りながら、ミャンマーでも活動をするRuthは、初めてミャンマーで、ミャンマーの学生たちに授業をした時の様子を嬉々として話してくれたことがあった。

「ミャンマーで初めて教えた日、生徒たちが『先生、本持ってますか?』って言うのよ。私がピーター・ブルックの〈何もない空間〉を見せたら『貸してくれませんか?』って言うの。だから貸したのよ、すると次の日、クラスの全員がその本をコピーしていて、読んでいたの。ニューヨークの学生たちの場合、『この本を読んでおくように』って言っても全然読まないんだけどね」

Ruthはこの出来事がきっかけで、今も続くミャンマーでの活動を始めることになったのだそうだ。Ruthの発言では、7月28日の「The Future of TYA in Asia」での議論も印象に残った。僕らのグループでは、「Commercial vs Citizen」について議論した。まず、Daniel Azzopardi(マルタのZiguZajgのフェスティバルディレクター)が、「商業的かあるいは市民的かで、演劇作品を分けるのはナンセンスだ。そこにあるのは、質が高いものか、低いものか、の違いだけなんじゃないか?」という発言をした。すると、Ruthは「少なくとも東南アジアの文脈では違う。今、西洋の商業演劇は、東南アジア(の現地の文化)を侵略している」と、そのことに猛然と反論し、ベトナムやミャンマーでどのようなことが起こっているのかを説明し始めた。

私にとっては、反論の内容そのものよりも、烈火の如く怒りながら話すRuthの表情が印象的だった。数日間の交流の中で、彼女が温厚な性格な持ち主であることを知っていたからだ。普段は菩薩のような彼女が、その日は阿修羅のようだった。何が彼女をそこまで駆り立てているのか。前述したように、Ruthはタイとアメリカの両方をルーツに持つ。彼女自身が、欧米とアジア(東南アジア)の衝突を体現する存在なのも関係があるのかもしれない。

私自身は、あまり興味を持たなかったが、「The Future of TYA in Asia」の中では、「Tradition vs Contemporary」が重要な論点の一つになっていた。「伝統と同時代性」という言葉だけでは、東南アジアのメンバーが何にこだわっていたのかがあまり見えて来ないような気がすると、今になって思う。言葉を補うとすると「(失われた我々の)伝統 vs (西洋化された)同時代性」をどう考えていけばいいのかというのが、その論点だったのだ。

思うに、東南アジアの現代史は、どの国も同じような構造を持っている。すなわち、三つに分けると、西洋の侵略、日本の侵略、そして、開発独裁を経て、今があるという点である。西洋列強と日本の侵略によって、東南アジア各国の連続していた歴史や文化は一回ぶち切られているのである。同時に、開発独裁によって、生活は西洋的な近代化が進んでいるのに、言論の自由などが制限されている歪な西洋化が、東南アジアの現代であり、同時代性なのである。そういったことを踏まえて「伝統と同時代性」について、彼らと議論をしないと、話したいことがすれ違いを起こすと感じた。アメリカによる占領はあったにしろ、植民地化された体験を持たない日本人にとっての「伝統と同時代性」と、彼らの「伝統と同時代性」の文脈は、似ている部分もあるが、異なっている部分も多い。また、国民の統合という点でも、(琉球、アイヌの問題はあるにしろ)少数民族に対して意識することなく生活できる日本と、未だどこからどこまでが我々(○○人)なのかという問題が残り、国民の統合の過程である国が多いというところに、違いがあるように思った。

さて、実は私は、このTYA Networkに参加する直前は、「アジア疲れ」なるものを感じていた。2020の東京オリンピックが決まって以来、あるいは、2014年に国際交流基金アジアセンターが設立されて以来、演劇業界には“アジアバブル”ともいうべき状況が生まれている。良くも悪くも、主に東南アジア関係の公演やプロジェクトに助成金等の支援がつきやすくなり、その手のイベントも百花繚乱である。

かく言う私も、2014年、できたばかりのアジアセンターが、作って間もないアジア・フェローシップに応募して採択され、作品創作のリサーチのため、タイに二ヶ月間滞在させていただいた経験を持つ。つまり、私自身が“アジアバブル”の恩恵を真っ先に頂戴した人間なのであるが、その後、2018年までにいくつかの国際共同制作や海外公演をする中で、主に英語を使ったコミュニケーションや文化や文脈の違いに疲れていった。また、東京の観客は、欧米関連の企画に比べ、アジア関連の企画には相対的に興味を示しにくい、という観客の側の志向もあり、「てめえら、欧米にだけ憧れを向けてんじゃねえよ!アジアにも目を向けろ!」と怒鳴りながらも、集客に苦労し、そこにも疲弊していった。そして、勝手にそれに「アジア疲れ」と命名して、東南アジア関係のプロジェクトとやや距離を取りつつ、“アジアバブル”に対しても、冷ややかな視線を浴びせるようになっていた。それが、このTYA Networkに参加する直前の私の状態であった。

ところが、この度のTYA Networkは、私を「アジア疲れ」から癒してくれた。そして、私の「アジア疲れ」の本当の原因を見つめる契機となった。きっと私は、英語を使ったコミュニケーションや文化や文脈の違いに疲れたのではなかったのだ。もちろん、それは大変ではあったのだが、それよりも自分がやっていたコラボレーションが、何か表面的なレベルに留まってしまっていたような気がして、そのことに自分自身が傷ついていたのではないかと思う。つまり、芸術家としての、あるいは文化交流者(そんな言葉があるのか?)としての自分自身の浅さに失望していたのかもしれない。

この場合の、“深さ”とは何だろう。東南アジアの演劇人と深いつながりを作っていきたいと感じ、どうすればそれができるのか。“深い”文化交流とは何か、その“深さ”は何から生み出せるのか。答えは、まだ出てない。ただ、「非公式な会合を通して」というのが大事なポイントじゃないかと思う。もちろん、今回のTYA Networkには公式なセッションの場がたくさんあった。けれども公式なセッションの外で一緒に過ごした時間こそが大事だった。「非公式な会合を通して」、裸になって、身体を洗って、洗いながら相手の裸もチラッと見て、一緒に湯舟に入ってリラックスする。そういうことの中から、“深さ”が生まれてくるのではないかと、今は考えているのである。

Asian TYA Network
鈴木アツト
Atsuto Suzuki
日本
劇団印象-indian elephant-
設立者・演出家